ピクシブ株式会社代表取締役社長 片桐考憲が望むピクシブで描く未来とは

アートに熱中した片桐考憲の生い立ち

片桐考憲は1982年静岡県浜松市に生まれました。幼いころから映画監督のスタンリー・キューブリックに憧れていたため、将来は芸術関連の仕事に就きたいと思っていたです。高校のころ、友達との楽しい時間が続けばいいと上京して会社を立ち上げることを決意した片桐考憲は、東洋大学経営学部に進学。今まで触ったことのないくらいコンピュータには疎かった片桐考憲でしたが、入学時に半ば強制的に購入させられたコンピュータに魅せられ、没頭。もともと映像作家を志望してましたが、才能がないことに気づいてからはWebサイトの制作を請け負っていました。大学入学から5年後、ホリエモンの登場で「ネットを仕事にしてもいい」ということに気づいた片桐考憲は、2005年大学を中退して弟と知人の3人でウェブ制作会社ウェブテネットを設立。厳しい会社経営の最中、2007年に上谷隆宏からイラストレーターのためのSNSを作らないかと誘われ、ウェブテネットをピクシブ株式会社に改名。2008年、事業が軌道に乗ってきたところで事業を一本化しました。

過酷な会社経営で学んだことと、本当にやりたかったこと

高校のころから念願だった起業を果たした片桐考憲でしたが会社の経営状況は厳しく、弟と毎日その日暮らしの日々を送っていたそう。そんな毎日を送る中でふと思ったのが「自分はそもそも何がやりたかったんだろう」ということ。ジェットコースターのような人生を送りたいと思っていた片桐考憲は、その願望がかなっていないことに気づきます。そんな中、片桐考憲に声をかけたのが上谷隆宏でした。当時はネット上で絵を描くこと自体が珍しく、ピクシブのサービスもヒットするわけないだろうと思っていましたが、当初の予定をはるかに超えるリリース3日で2000人の登録者を獲得。これを機に、片桐考憲はお絵描きがもっと楽しくなる場所を提供できたらとピクシブの事業を正式に先導していくことを決定したのです。

ピクシブはこの世界にどんな作品を遺せるか

片桐考憲は株式会社ピクシブを大きくする予定はないと語っています。大きな会社にすることよりも100年後も残るようなものを生み出したいという願いのほうが重要で、社員に対しても会社の未来ではなく、会社員が個人の未来に活かせるようなスキルや経験を得られたら良いとほかの会社にはないユニークな思考を持っています。ピクシブのサービスによってこれからも、多くの作品が残されていくでしょう。