シンプレクス株式会社の代表取締役社長である金子英樹が成功するまで!

金子英樹の生い立ち

金子英樹は1963年生まれであり、東京都で育ちました。東京都立青山高等学校を卒業したあと一橋大学の法学部に入学。大学時代には六本木のディスコで働いていた経験があります。大学時代にすでに経営の真似事のようなことをしていました。それは、将来は商社や銀行に就職するのではなく、もっと別の道を目指したかったからです。そこで、経営コンサルティングを志してマッキンゼーに就職しようと思っていたところ、たまたま面接会場にいた人からアンダーセンという会社について話を聞いて、そちらに就職を決めました。アンダーセンでは4つのプロジェクトに携わりました。そして、今度は外資系の金融会社に興味を持って、キャッツに転職しました。キャッツの東京支社を開くことになり、そこで金融工学やトレーディングに触れることになるのです。

金子英樹がシンプレクスを誕生させるまで

金子英樹は1997年に株式会社シンプレクス・リスクマネジメントを設立しました。それまでのノウハウをベースにサービスを提供することで、日本の金融やITなどに貢献できると考えたのです。日本は当時これらの分野で遅れているといわれていて、そのことに金子英樹は危機感を抱いていました。自分の力があれば日本の金融機関の底上げができるかもしれないと考えていたのです。もちろん、自分がそれまで培ってきたノウハウに自信を持っていて、それがナンバーワンであると認めさせたいという個人的な欲求もありました。このような経緯からシンプレクスが生まれたのです。

これからの金子英樹

シンプレクス株式会社は1997年に設立した資本金47億5,000万円の会社です。従業員数は連結で709名(2019年3月31日現在)、売上高は約237億円(2019年3月期)という規模の会社です。金融機関の収益業務に関するシステムのコンサルティングを実施しています。また、システム開発も請け負っています。金融業界に特化したコンサルティングや開発のサービスを展開しているのが特徴です。金子英樹を中心としてシンプレクスは業界をリードしてきました。金融とITに精通するプロフェッショナルとして高く評価されているのです。そんなシンプレクスは2013年に上場を廃止しました。グローバルトップになるという目標を実現するためです。プライベートカンパニーとなったシンプレクスは、金子英樹が先頭に立って今後は世界に羽ばたいていくでしょう。グローバルトップという称号を得ることを目標として金子英樹は走り続けています。