山川博功の生い立ち
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山川博功は1971年に福岡県で生まれました。両親も事業家だったため、小さい頃から自分も将来は経営者になることを当然と考えていたそうです。母親は美容院を経営していて、父親よりも収入が高く、多くの弟子を抱えていました。高校生の頃は勉強のやる気がなく、美容師になりたいというと、母親から安易な考え方を怒られてしまい、しかたなく勉強をして明治大学に入学しました。大学在学中にバブルが崩壊したため、就職氷河期の時代に就活をすることになりました。結局、車のディーラーになり、そのときに車のレースにのめり込んでしまい、大きな借金を抱えました。そのあとは、いろいろな仕事を転々として、26歳のときに入社した自動車買取店の社長と出会ったことで人生が変わったのです。
山川博功が起業するまで
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山川博功は自動車買取店に入社して、わずか半年でナンバーワンの実績をあげました。そこで、当時の社長に自分の会社をやってみないかといわれて、4,000万円というお金を借りて、実際に起業することになりました。ワイズ山川という起業を設立して、当時は車の買取業をメインとしていました。それが輸出ビジネスに手を広げるようになったのですが、そちらは失敗しました。そこで、他社との差別化を図り、レース用のドリフトカーを扱うなどサービスを工夫したところ海外で車が売れるようになったのです。そして、2004年3月に株式会社ビィ・フォワードを設立しました。
株式会社ビィ・フォワードが成功するまで
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株式会社ビィ・フォワードが設立してからは、トレードカービューに解体車の掲載をしたところ、アフリカでよく売れるようになって経営が軌道に乗りました。その後は、世界各国に車を輸出するグローバル企業に成長したのです。どの国にも日本人のスタッフはおかず、現地の会社と提携しているのが特徴です。アフリカに進出したときには、お客さんに会社のロゴの入ったシャツやキャップを配ったり、車にステッカーを貼り付けたりしたところ、それがSNSで拡散されてしだいに知名度を上げたのです。また、最近では越境ECサイトも手掛けるようになって、車の販売だけではなくIT企業としても注目されています。そんな株式会社ビィ・フォワードは資本金1,000万円、売上高570億円(2018年6月期)、従業員数が日本211名、海外約500名(2018年12月時点)という規模の会社です。今では世界200カ国との取引実績があり、社員の約3割は外国人となっています。アフリカではトヨタよりも知名度が上といわれることもある会社に成長したのです。今後も山川博功は世界で注目されていくでしょう。