俳優である塩谷瞬が現在のように世界を飛び回るきっかけになった出来事とは?

塩谷瞬

スーパー戦隊シリーズで主役を務めたほか、映画パッチギでは主演を務め、新人賞を数多く獲得するなど飛ぶ鳥を落とす勢いで俳優業を邁進してきた塩谷瞬さん。そんな塩谷瞬さんは海外に積極的に飛び立っており、多くの国に足を運んでいます。その数は100か国以上と相当の数です。

なぜ塩谷瞬さんは忙しい俳優業のかたわらで世界を飛び回ることになったのか。今回は俳優塩谷瞬さんが世界を旅するようになったきっかけをご紹介していきます。

大きなきっかけは2011年の東ティモール訪問

塩谷瞬

2011年、国際協力機構JICAのプロジェクト「なんとかしなきゃ!プロジェクト」の一員だった塩谷瞬さんはメンバーとして東ティモールを訪問しました。東ティモールは最近になって独立を果たし、国としての歴史はまだまだ短い国です。

塩谷瞬さんはメンバーの1人として東ティモールを視察し、青年海外協力隊が活動を行う現場を回っていきます。塩谷瞬さん自身、お母さんが既におらず、お父さんもなかなか家に帰ってこないという過酷な生い立ちがあり、その中で多くの人に支えられてきたことに感謝し、いつか恩返しをしたいという思いがあったそうです。

東ティモールに訪問し、現地の人から熱く歓迎され、東ティモールを去る際も手を振ってお別れをした際、塩谷瞬さんは自分には何ができるのだろうかと自問自答します。東ティモールを訪問したのは2011年1月のことですが、3月には東日本大震災が発生しました。この時、塩谷瞬さんは積極的にボランティア活動を展開しており、東ティモールでの経験が自らを突き動かしていることは明らかでしょう。

網膜剥離の大ピンチでの出会い

塩谷瞬

塩谷瞬さんは2013年に網膜剥離になり、網膜の大部分は剥がれている状況だったと当時のブログで明らかにしています。あとちょっと発見が遅れていれば塩谷瞬さんは失明していた可能性が高いのです。奇跡的に発見され、手術を受けることになった塩谷瞬さん。この手術の際にある先生と出会い、その先生にアイキャンプの存在を知らされます。

アイキャンプは病院がない地域に出向いて眼科の手術や診察を行うプロジェクトで、その費用はNGO団体などが負担し、患者は無料です。主にネパールで活動をしており、ネパールに数人しかいなかった眼科医が100人以上に増えるなど、アイキャンプの貢献度は相当なものです。塩谷瞬さんもこの活動に興味を示し、ネパールに足を運びました。

ネパールへはその後も何度も足を運ぶようになり、ついにはネパールの親善大使に任命されることに。ネパールでのドラマ撮影やネパールでの地震の際には率先して支援活動を行うなど、ネパールとの結びつきが深まっています。ネパールでの支援と並行して日本での自然災害にボランティア活動を行うなど、いつか恩返しをしたいという東ティモールでの思いが具現化された形です。

アフリカでの出会いも塩谷瞬の活動を支える

塩谷瞬

東ティモールやネパールでの出会いは塩谷瞬さんの活動をより活発にさせていますが、実は東ティモールよりも前に仕事でアフリカにも行っており、その際に様々な経験をしています。

塩谷瞬さんが現地の学校を訪れた時のこと、塩谷瞬さんは現地の子供たちに夢を聞いてみました。すると、現地の子供たちは弁護士やパイロット、野球選手など様々な夢を語り、その姿に塩谷瞬さんは思わず泣いてしまったそうです。

アフリカは電気や水道がないため、子供も水汲みを手伝わされ、水汲みのために5時間歩き続けることもあるのだとか。とても前向きにはなれそうにない環境でありながらも、現地の子供たちは前向きに夢を語っており、その姿に涙が出てきたと塩谷瞬さんは語っています。物資なども決して揃っているわけではない中、夢を語れる子供たちの存在は塩谷瞬さんをかなり勇気づけたようです。

最初のころは、夢を実現させるにはあまりにも物資が行き届いておらず、そもそもライフライン自体がほぼ整備されていない現状にショックを抱いていた塩谷瞬さん。しかし、現地の人たちと会話をする中で、この環境でも夢をかなえた人がいることに気付き、環境を言い訳にしない姿勢に感銘を受けます。

塩谷瞬さんはアフリカの子供たちと自らを重ね合わせ、一生懸命努力をしていれば誰かが助けてくれることに気が付きます。そうした出会いもあり、アフリカに井戸を掘るというプロジェクトを立ち上げることになりました。

コロナ禍で満足に海外へ旅立つことができず、ライフワークである海外への旅が最近までできなかった塩谷瞬さん。しかし、海外への映画祭への参加など、塩谷瞬さん本来の活動は再び活発になろうとしています。東ティモールやネパール、アフリカ、環境としてはかなり厳しい中でも、そこで暮らす人たちの逞しさに感動を覚えつつ、活力をもらう塩谷瞬さん。海外から学びを得ていくスタイルは今後も続くことでしょう。