「自分は凡人」株式会社メルカリ代表取締役社長、山田進太郎がメルカリを創業するまで

凡人であることを痛感した山田進太郎の生い立ち

山田進太郎は1977年に愛知県瀬戸市で生まれました。母親が税理士だったためか、小学校のころは非常に成績優秀で私立の東海中学校に進学し、そのまま同学校の高等学校に進学しました。山田進太郎が自分は平凡だと感じたのは中学、高校のころ。周りがあまりにも優秀な人間ばかりで、自分の平凡さを痛感したと言います。この時自分の存在価値を見出すには何か別の山を自分で作るしかないとも感じ、父親が通っていた早稲田大学の教育学部に進学しました。大学でも自分の価値をなかなか見出せなかった頃、ウェブサイト構築ができるということで知人の紹介により、早稲田大学の学生団体である早稲田リンクスに所属することに。山田進太郎はここでようやく自分の居場所を見つけたのでした。大学卒業後、2001年にはウノウを設立し、映画情報サイトの「映画生活」や写真共有サイト「フォト蔵」の企画・開発・運営に携わりました。2008年にLINE株式会社の前身であるネイバージャパンに入社し、2009年には自身の立ち上げたウノウを米ジンガに売却。そして2013年に新たに株式会社メルカリを立ち上げました。

山田進太郎がメルカリを生み出した理由

何か別の山を作らなければならないとウノウを設立した山田進太郎ですが、20代のころから内に秘めていた「グローバルなサービスを作る」という目標には届かず、ヒットサービスを打ち出すも悶々とした日々を送っていました。実は、米ジンガにウノウを売却したのも、ウノウのサービスを世界に広めるため。この「グローバルなサービス」という目標を達成するために、もともと需要の広まりつつあった、物を捨てずに再利用するというフリーマーケットという仕組みと、時代に適応したスマートフォン向けのアプリを融合して開発されたものがメルカリなのです。

シンプルさがカギ?山田進太郎の作る事業計画書とは

現在メルカリは世界的なマーケットプレイスを創る先駆けとして、米国市場で勝ち残ることを目標にしています。経営の方針を決定するのが社長の役割ですが、山田進太郎の作る事業計画書はとてもシンプル。多くの失敗で学んだ、「わかりやすく伝えることが大切」だということを常に意識していて、たったひと言で何のサービスなのか伝わることを前提に開発を進めていると言います。確かにメルカリも「スマホから売り買いできるフリマアプリ」というだけで簡単にサービス内容が理解できますね。