森田香央里、レースクイーン時代の経歴、実態、功績を詳しく紹介。

ガソリン車がいかにすごいか、蒸気自動車がまだ存在した1890年代にカーレースを行ったことから端を発したモータースポーツの世界。
そのモータースポーツにおいて、レーサーの周りを取り囲むようにいるのがレースクイーンです。レースクイーンは和製英語で、正確にはグリッドガールなど様々な言い方があるようですが、日本でもレースクイーンの存在は非常に有名であり、多くの男性がレースクイーンの姿に魅了されてきました。
日本で多くの観客を集める続ける「SUPER GT」において、短い期間ながらも多くの男性をひきつけ、人気を獲得したレースクイーンがいます。それが森田香央里さんです。
森田香央里さんは、1981年、昭和56年の1月14日生まれで、今年2020年で39歳になります。神奈川県横須賀市出身で、愛称はモカ、モカリン。森田香央里さんがなぜ「SUPER GT」のレースクイーンとして大人気となったのか、そのあたりをリサーチしました。

森田香央里さんがレースクイーンとして登場した時期

バブル経済の時にモータースポーツが大人気で、それに比例するようにレースクイーンに注目が集まった時代があります。その時期は露出が激しい時期でもあり、世の男性を魅了し、レースクイーンからタレントへ転身するケースも珍しくありませんでした。そんな中で、森田香央里さんが日本のモータースポーツではトップクラスにあたる「SUPER GT」で、レースクイーンとして登場をしたのは2007年のことでした。

この当時もまだ露出が激しい衣装のレースクイーンがいる一方、可愛らしさ、萌え要素など色々な要素が混じるようになったことで、これまでのレースクイーンとは一線を画するような動きが見られ始めた、変化の始まりの時期です。そのような時期に森田香央里さんはレースクイーンとして活躍し始めます。

急遽の参戦も森田香央里さんには関係なかった

Hockenheim, Germany: DTM Hockenheimring,

しかし、森田香央里さんがデビューした時期が少し意外な時期だったのです。森田香央里さんは2007年の「SUPER GT」でデビューをしますが、それが第5戦だったからです。
元々レースクイーンは、グリッドガールと呼ばれ、チームと契約し、レースがあれば転戦するという感じなので、1シーズンごとに契約していました。つまり、本当であれば第1戦から登場するはずが、森田香央里さんが登場したのは第5戦から。第1戦がスタートしてから4か月も後のことでした。

2007年から森田香央里さんが所属したのがチームセルモです。チームセルモは、ホール経営を行っている善都がスポンサーとして活動するチームですが、善都は、F1ドライバーのパーソナルスポンサーを務めた経験を持ち、事あるごとにスポンサーを務めてきました。
2005年から「SUPER GT」に参戦しているチームセルモのメインスポンサーとして今も活動しています。いわば「SUPER GT」における名門チームです。その名門チームの一員として、2007年シーズンの途中から森田香央里さんは参戦を始めます。
名門チームとなると、自然とレースクイーンの質も高く、そこで人気をつかむのは大変ですが、森田香央里さんは身長171センチ、スレンダーな体型の方がレースクイーン映えするということもあって、第5戦のデビュー早々から、カメラ小僧だけでなく、業界関係者の注目を一手に集めることとなります。

サーキットの人気はすぐに波及していき…

2007年の「SUPER GT」第5戦から、チームセルモの一員としてレースクイーンになった森田香央里さんでしたが、実は前から芸能活動をしていました。
2006年3月から1年間アシスタントとして参加した「ヨシモト∞」では、土曜の夜に「ほっしゃん。」さんが司会を務めていたADORIBU武道会という番組のアシスタントを務めていました。その前にも、大沢たかおさんと中谷美紀さんのダブルキャストで話題となった、7月24日通りのクリスマスにも出演、その他CMにも出るなど、それなりの経験値がありました。そうした経験もありながらもレースクイーンに挑戦したところ、すぐに人気に火がついたというわけです。

まとめ

2007年の途中から「SUPER GT」のレースクイーンとして参戦した森田香央里さん。この当時、レースクイーンはなかなかサーキットの外で活躍する事は難しく、バブル時代のようなサクセスストーリーは難しいのではないかと思われていた時期でもありました。しかし、サーキットの中で大人気だった森田香央里さんはのちにゴールデン番組に出演するなど、大きな夢を見させる存在へとなっていきます。
この当時、森田香央里さんは26歳、レースクイーンとしては少し遅咲きだったにもかかわらず、すぐに人気を獲得する姿は、レースクイーンの新たな可能性を感じさせました。