福田三千男の生い立ち
福田三千男は1946年に茨城県で生まれました。1969年には同志社大学の商学部を卒業し、同年に大賀に入社しました。そのあと1971年に親が経営していた福田屋洋服店に入社して取締役に就任しました。福田屋洋服店は1953年に創業されて長い歴史がありました。もともと福田屋洋服店は紳士服を主に扱っていました。しかし、紳士服小売業界にディスカウントスタイルのチェーン店が現れてそちらが主流となったため、福田屋洋服店は転換を迫られました。そこで、メンズカジュアルに乗り換えて、それが大成功しました。また、情報システムの導入を進めて、物流センターを設けることも行いました。
福田三千男が会社を成功に導いた軌跡
福田三千男が社長を務める福田屋洋服店は資金繰りに苦しむようになります。そこで、アメリカの小売業を視察しました。そこで、チェーンオペレーションとスペシャリティストアという方向性を見出して、福田三千男は2回目の乗り換えを実施しました。ジーズンを中心としたラインアップを揃えて、さらに店舗と本部を分けることでお店の数を増やしました。しかし、80年代後半には再び低迷の機器を迎えたため、再びアメリカを視察しました。そこで3回目の乗り換えを果たすのです。コストのかかる生産や企画は他社に委託する形にしたことで利益率を高めることに成功しました。しかし、このビジネスモデルは他社に真似されたため、4回目の乗り換えに着手することになります。等身大をコンセプトとしたブランドを作ることになり、15の異なるブランドを運営して受け入れられました。このように福田三千男は何度も会社が危機的な状況に陥っても、そのたびに工夫を凝らしたアイデアによって乗り切ってきたのです。
これからの福田三千男
吉田洋服店は何度か社名を変更していて、2015年より現在の株式会社アダストリアとなっています。アダストリアは資本金26億6,000万円(2016年2月)、売上高は連結で約2,000億(2016年2月)、従業員数は連結4,760名(2016年2月)と規模の大きい会社に成長しました。2007年にEC事業を開始していて、そちらが好調となっています。福田三千男は常に大きな志を抱きながら経営にかかわってきた人物です。今後も妥協することなく、一見するとできそうもないことに果敢に挑戦していくでしょう。ファッションをベースとして新しいマーケットをどんどん切り開いていくことを期待されているのが福田三千男という存在です。