元々あった物件をリノベーションしたり、新たな付加価値をつけてバージョンアップを行ったりすることで、より魅力的な物件などを提供して資産運用につなげていく株式会社レーサム。1992年株式会社レーサムリサーチが誕生し、以来30年にわたって発展を続けてきました。そんな株式会社レーサムを創業し、現在は取締役会長として後進に道を譲りながら人材育成に励んでいるのが田中剛さんです。田中剛さんは株式会社レーサムをどのように牽引し、どのような会社に育てていきたいのかをチェックします。
田中剛さんの経歴
田中剛さんは1965年、昭和40年5月12日生まれで現在56歳です。1965年5月12日生まれの有名人は複数人おり、その中の1人が元ユニコーンでおなじみ、多くのヒット曲を生み出した奥田民生さん。奥田民生さんもまた精力的な活動を行い、若くして活躍した有名人ですが、田中剛さんの活躍も早かったのです。
株式会社レーサムの前身、株式会社レーサムリサーチが立ち上がったのは1992年、田中剛さんが27歳の事です。1992年5月1日に設立されると、当初から現在のスタイルを確立しようとしていました。初年度の売り上げはおよそ8億円で、一見うまくいっているように見えますが、営業利益はわずかに赤字。具体的な数字を出せば100万円程度なのでほんのわずかですが、レーサムの歴史は赤字スタートであることに変わりはありません。
ただ翌年度からは売り上げが20億、30億と増え、営業利益も黒字に転換し、着実な成長を見せます。しかしながら、1億円に満たない営業利益が続くなど、株式会社レーサムリサーチを立ち上げてからはすぐに軌道に乗ったとは言い難い状況であることが言えます。
債権回収への挑戦
資産運用をメインに活動していた株式会社レーサムリサーチと社長の田中剛さん。1990年代半ばまで右肩上がりとは言い難く、売り上げに揺らぎがあった中、新たなビジネスに打って出ようとします。それが債権回収でした。これは当時の経済事情が大きく関係しています。
田中剛さんが株式会社レーサムリサーチを立ち上げたのは1992年ですが、既にこの当時バブル崩壊が進んでおり、不動産がとにかく重荷になっていく時代でした。そして、担保にしてお金を借りていた企業などがことごとく倒産し、担保となった不動産を処分しようにも不景気であったため、不動産を動かしたくても動かせない状況に追い込まれます。
銀行としては債権をとにかく売って、経営状態を安定させる必要がありました。この当時、北海道拓殖銀行や山一証券などが破綻し、金融は大きなダメージを受け、ハゲタカファンドと呼ばれる外資系が日本の企業を見つめていた時代です。不良債権の処理の手伝いのような仕事であれば勝負になるかもしれないと考えた株式会社レーサムリサーチはいち早くその事業に着手します。
担保にしている不動産評価が高まれば担保評価にも影響を与えることを知った株式会社レーサムリサーチは、まず債務超過状態のノンバンクを取得すると、ある程度の返済を行った後で資産価値を高めるような開発を展開し、不動産価値を高め、担保評価を高めます。これにより収益を回復させ、金融機関に持っていたノンバンクを売却、その売却益で一気に会社を大きくさせることに成功します。
ただこの債権回収事業は、金融的な状況の変化などがあり、当時と比べると効果が出にくい状況となってきたため、2018年に債権回収事業を譲渡するなど、およそ20年の事業の歴史に幕を下ろしたのでした。
レーサムが手掛けた大型プロジェクト
それまで数十億円程度だったレーサムの売り上げは1999年以降一気に上がり、2000年には売り上げが100億円を突破、20億円以上の利益を生み出しました。これに伴い、事業の幅はより大きく厚みのあるものへとなっていきます。
その1つがレーサム単独で行った大型プロジェクトの数々です。評価額100億円で取得した渋谷区のビルは、バブル時代300億円に迫る評価額を示していました。それがバブルがはじけてほぼ半減となっており、これを取得すると、テナントを積極的に入れ替えていくことで収益を向上化させようとします。
レーサムリサーチ、レーサムではこれまでに渋谷や原宿、千代田区など様々なビルを購入し、数百億円の評価額を誇る物件などを取得して、単独でプロジェクトを進めてきました。
本業で田中剛さんが手がけてきたこと
田中剛さんが本業で手掛けてきたことは様々で、元々は資産運用をメインに事業展開している企業です。
華々しいやり取りに目を奪われがちですが、本業の仕事もまたなかなかに華々しい事業の数々です。
自宅用や投資用のマンションを高所得者に販売していくビジネスを行ってきました。その対象となるのは年収1億円以上、いわゆる億万長者と呼ばれる人たち。
1件当たり数億円の物件をやり取りするわけですから、こちらも華々しいことがおわかりいただけるはずです。
田中剛さんのオフィスで話をしていた人物は、実際にパソコンを見せてもらった時に、あまりにも大量の物件データを見て驚いたと言います。守秘義務もあるのか、外資系企業に勤め、1億円以上稼いでいる人物をイニシャルにしたリストが並んでおり、勤務先や年収、投資額、節税対策の有無などがリストになっていました。
1人1人のデータがしっかりと書かれており、その傾向に合わせて最適な物件を紹介できるようにしており、レーサムの営業力の高さに驚かされた人も少なくありません。
こうした背景には、田中剛さんが大学時代に渡米して、不動産ビジネスとはどういうものかを学んできたことも大きいでしょう。現状、日本の不動産業界はそこまで先鋭的とは言えませんが、先鋭的に挑んできたのが田中剛さんです。
当初は年収1億円に絞っていたところ、社長などにも範囲を広げ、不動産の証券化ビジネスなど色々なものを取り込んできた株式会社レーサムと田中剛さん。
リーマンショックや東日本大震災の影響で大きな打撃を受けながらも懸命に業績を回復させた背景には田中剛さんの執念のようなものを感じさせます。
まとめ
創業30年の中で株式会社レーサムはかなりの紆余曲折を経ていることがわかりました。特に不動産業界は大きな打撃となる出来事が何回もあり、実際にそれによって倒産に追い込まれた不動産業者も少なくありません。そこを踏ん張ることができたのは、これまでに経験してきたことや、早めに債務の圧縮などを行って大きな傷を負わないようにしたことが大きいと言えるでしょう。
現在は新型コロナウイルスの影響で多くの不動産業者が大苦戦し、レーサムもその影響を受けがちです。しかし、新型コロナウイルスを言い訳にして経済活動はしておらず、常に新しいものを生み出し、よりよいものを作りだそうとするあたりがさすがと言えるでしょう。後進に道を譲りましたが、田中剛さんの育成ぶりはこれからも熱く、本格的なものになっていくはずです。