株式会社タイミー代表取締役社長、小川嶺が若くして成功を収めた理由と起業にいたったきっかけとは

小川嶺の生い立ち

小川嶺は1997年に東京で生まれました。立教新座高校に通っていた小川嶺が開催した「ポッキー投下」はNAVERまとめに掲載されるなど、学生時代からユーモアあふれる発想力に富んでいました。また生徒会長を務めながら、創立3か月の仮想通貨情報サービスを提供する、株式会社OneBoxのインターンにも参加。高校卒業後、立教大学に進級した小川嶺は、大学1年の頃に自ら起業家育成団体を立ち上げ、慶應のビジネスコンテストで優勝を収めました。また、大学2年時にはアパレル店員とお洒落んな大学生のマッチングサービス「FASTU」の立ち上げを行うとともに、試着だけで割引になるサービス株式会社Recolleを登記。その後、大学3年時にRecolleを株式会社タイミーに変更して今に至ります。

なぜ?小川嶺が若くして起業に至った理由とは

小川嶺の起業のきっかけは高校3年の頃までさかのぼります。高校3年の文化祭で、自ら立ち上げた縁日で子供が喜ぶ姿を見て、この時初めて「人が喜ぶ」ことを仕事にしたいとぼんやり思うようになったそう。さらに松下幸之助の「道ひらく」が小川嶺の起業意欲をさらに掻き立てました。最終的に決め手となったのは、実業家であった小川嶺の曾祖父の会社が、借金の連帯保証人で倒産してしまったことでした。涙を流すほど悔しさを感じた小川嶺は「世界に名を残す」と起業に至ったのです。しかし実際に起業して、目標にしていた資金調達を達成すると、燃え尽き症候群でもぬけの殻となってしまった小川嶺は、商社への就職を考え始めました。2か月間、就活に向けて準備を重ねていた時にふと感じたのが「時間が豊かではない」ということ。「暇な時間に何かできることを提案してくれるアプリはないのか」と調べ始めたことが、今のタイミーのサービスの始まりです。

若年起業家小川嶺のこれからの人生設計と株式会社タイミー

小川嶺の立ち上げた株式会社タイミーでは、スキマ時間を利用したワークシェアリングサービスを提供しています。利用者は、ちょっとした空き時間を持つ働き手とすぐに人手が欲しい雇用者の2種類。この需要と供給をうまくマッチさせるのがタイミーの役割です。面接なしですぐに働くことのできる手軽さと、業務終了後にすぐに報酬が貰える即金性が人気を博しています。また、小川嶺は当初からの目標であった「世界に名を残す」ということを念頭に、史上最年少上場を狙っています。小川嶺が世界に進出して活躍するのも、もはや時間の問題かもしれません。