ひとつのゲームから生まれた会社?株式会社コロプラ代表取締役社長、馬場功淳の経歴

馬場功淳の生い立ち

馬場功淳は1978年兵庫県伊丹市に生まれました。心臓病を抱えていたため、幼いころからゲームに親しんでいたそう。中学に入学するとパソコンを触れるという理由で電子工学部に入学。そこで雑誌の付録であったゲームのプログラミングをしたことがきっかけとなり、成績上位者になることを条件に30万円のパソコンの購入をねだったそうです。もともと成績が優秀でなかった馬場功淳ですが、この時に成功へのプロセスを理解します。将来もIT関連の仕事に就きたいと思った馬場功淳は都城工業専門学校に入学。5年制の学校だったため、卒業後は口頭試問を受けて九州大学情報工学部知能情報学科の3年次に編入しました。そのまま同大学の博士課程に進むも、自分で収入を得たいという想いから大学前で募集していたベンチャー企業であるケイ・ラボラトリー(現在のKLab)でのアルバイトにのめりこみ、そのまま大学は中退。同社に新卒として入社しました。その後2年間働いたのちにグリー株式会社に転職。そして1年後の2008年に株式会社コロプラを設立しました。

開発したゲームを抱えきれなくなり起業に?コロプラができるまで

実は、馬場功淳はKLabで働いていた時に「コロニーな生活」というゲームを開発していました。パソコンやゲーム機と比べると携帯でのゲーム表現は劣る一方で、持ち運びができるという携帯にしかない利点から「位置情報登録」を利用した「位置ゲー」を初めて立ち上げたのです。昼はエンジニア、夜はゲームサイトの運営者とに二足のわらじを履く生活は、想像以上に過酷でしたが「コロニーな生活☆PLUS」にバージョンアップするなど、5年間にわたって忙しい毎日を過ごしました。しかし徐々にユーザーが増え、ひとりではサービスを抱えきれない状態になったサイトに迫られた選択はサイトを捨てるか、独立して運営を増やすかの二択。馬場功淳はそこで後者の起業という選択をとったのです。

株式会社コロプラが時代に適応し続けられる理由とは

もともとソーシャルゲームを基軸に成長を遂げたコロプラですが、現在ではスマホゲームに完全にシフトチェンジするなど、時代に適応していく能力が十分に備わっています。馬場功淳は、スマホが発売され始めた2009年頃にはすでにスマホアプリの開発チームを立ち上げており、ソーシャルゲームからスマホゲームにユーザーが移ることを予測していました。このように、馬場功淳の軸足を得意分野、成功分野に置きながら、もう片足は新規事業に乗せるという経営方針によってコロプラは進化と発展を続けています。