株式会社SmartHR代表取締役社長、宮田昇始の難病闘病をきっかけに生まれた人事サービスとは

宮田昇始の生い立ち

宮田昇始は1984年に生まれました。大学卒業後、IT企業でWebディレクターとして就職。その後医療系Webサイトの開発会社に転職し、同社在籍中に難病である「ハント症候群」を患いましたが、リハビリの末に完治。2013年には株式会社KUFUを設立し、2年後の2015年に自身の闘病経験をもとにしたクラウド人事労務ソフト「SmartHR」のサービスを開始しました。2017年に株式会社KUFUを株式会社SmartHRに社名変更してからは、順調にサービスを拡大させ、2019年には海外投資家などから約62億円の資金調達を達成しています。

宮田昇始の闘病経験と起業までの道のり

宮田昇始が患ったハント症候群とは、耳の中の三半規管に水ぼうそうができ、症状としては難聴や味を感じなくなる、顔面麻痺などの症状が出る病気で、宮田昇始は10万人に1人といわれるレベルまで重症化してしまいました。めまいに似た症状も出てしまい、一時期は車椅子が必要となるほど。1週間の入院治療後、無事に退院したのですが「傷ついた神経がもとに戻るかはわからない」という言葉に宮田昇始は先が見えなくなるくらいのショックを受けたそうです。結果的には無事に神経も回復し、以前と同じような生活を送れるようになった宮田昇始ですが、この経験をきっかけに「これからは自分の好きなことをして生きよう」と決心。以前勤めていた会社を退社し、フリーランスに転向。起業後2度の失敗を経て、たどり着いたのがSmartHRです。

宮田昇始が「SmartHR」というサービスを思いついたきっかけとは

宮田昇始の2度の失敗の中に「法人向けITサービス比較サイト」がありました。このアイデアから徐々に角度を変えていく中で生まれたのがSmartHRだったそうです。しかし、エンジニア自体サービスの選定を楽しんで行っていたため、ここには需要がないということに気づき、結果としてたどり着いたのが人事でした。特に産業医や評価制度コンサルタントなどは、知識も乏しく調べ方もわからないという企業が多かったため、人事へのニーズを確信。さらにSmartHRのアイデアの材料となったのがアメリカで先行していた「ゼネフィッツ」という、新入社員と民間保管会社のマネタイズサービスでした。社会保障がしっかりしている日本には民間保険会社が立ち入る余地はないと思っていましたが、自身の妻が産休・育休の申請書類に手間取っているのを見て、SmartHRとしてのサービスのアイデアを確立させたのです。現在SmartHRは順調に参加企業数を増やしています。宮田昇始は今後も「どの企業にも共通して存在する課題」の解決に注力していくつもりです。