
唐澤誠章(唐澤誠明)さんは、広島出身の56歳でお好み焼き屋を中心に広島や大阪で20店舗ほど経営しています。2012年に起業した唐澤誠章(唐澤誠明)さんは順調に事業拡大に成功していき、メディアでも注目されていました。しかし、そんな唐澤誠章(唐澤誠明)さんに悲劇が襲い掛かります。
ある日突然、唐澤誠章(唐澤誠明)さんは逮捕されてしまったのです。しかも、全くいわれのない理由で捕まり、詐欺師とまで呼ばれてしまったのです。なぜそんなことになってしまったのか、探っていきます。
次世代を担う経営者として注目された唐澤誠章(唐澤誠明)

唐澤誠章(唐澤誠明)さんは広島に生まれ、広島で作り上げられたお好み焼きのおいしさから、自分のお店を持ちたいと思うようになり、多くのメディアから注目を浴びるほどでした。ここからは唐澤誠章(唐澤誠明)さんの人物像をご紹介します。
子供の時からの憧れだったお好み焼き屋

唐澤誠章(唐澤誠明)さんにとって、お好み焼き屋は憧れの職業だったそうです。その理由は、広島の市街地に行くと、お好み焼き屋が多く点在し、屋台などもにぎわっていたからです。唐澤誠章(唐澤誠明)さんは広島市民球場でカープの試合を見たり、父親の都合で市街地に行くことになったりした際に、ちょくちょくお好み焼きを食べさせてもらったと言います。
そこでのお好み焼きの味が忘れられず、「いつかはお好み焼き屋を開きたい」と思うようになったのです。ちなみに、少年時代の唐澤誠章(唐澤誠明)さんが思っていたもう1つのことは、父親と一緒にお好み焼きを食べながらビールを飲むことでした。少年時代の唐澤誠章(唐澤誠明)さんは当然ビールは飲めず、オレンジジュースなどを飲んでいましたが、おいしそうにビールを飲み干す父親の姿に、憧れを抱いたそうです。
この夢は唐澤誠章(唐澤誠明)さんが大人になってすぐに果たされました。市内でも有名なお好み焼き屋に行き、唐澤誠章(唐澤誠明)さんのおごりで父親とお好み焼き屋を食べながらビールを飲んだ時、「自分も大人になった」と実感したそうです。
東京には少なかった広島の味

唐澤誠章(唐澤誠明)さんは大学進学をきっかけに東京に行きます。「いつかはお好み焼き屋を開きたい」という思いこそありましたが、父親に「まずは東京で色々と学んだほうがいい」と諭され、東京の大学に進学しました。東京に行ってみるとおいしいものはたくさんあり、安くてうまい店がこれだけ多いのかと唐澤誠章(唐澤誠明)さんは感動したと言います。
しかし、地元で食べた懐かしいお好み焼きなど、広島の味を堪能できるお店はそこまで多くありませんでした。厳密に言えば、あるにはあったものの、気軽に立ち寄れるようなお店ではなく、それなりの値段がするようなところが目立っていたのです。東京にいても、広島のお好み焼き屋のようにフラっと立ち寄れる店舗にしていきたいとこの時決意しました。
一時期東京の会社に就職するも、夢を追いかけたいと思って脱サラし、お好み焼き屋で修行します。そして、ノウハウなどをつかみ、2012年に起業したのです。
お好み焼きの情熱で順調に成長

本場のお好み焼きを食べたいというのは誰しもが思う一方、実際に行動に移せるのは一握りだったからこそ、今まで本場広島のお好み焼きが気軽に食べられるお店は少なかったと言えます。そんな中、唐澤誠章(唐澤誠明)さんはお好み焼きの情熱を胸に秘めて、お店を立ち上げました。
最初はなかなか軌道に乗らなかったそうですが、地道な活動を行っていく中で次第にお客さんを増やしていき、予約がいつも入るような店舗になっていきます。当時はまだ今のように気軽にデリバリーができる時代ではありませんでしたが、いつかはデリバリーができるようになりたいと考えていました。
お好み焼きの情熱で順調に成長を遂げていた中、思いもよらない出来事が唐澤誠章(唐澤誠明)さんを襲ったのです。
唐澤誠章(唐澤誠明)が経験した悲劇

唐澤誠章(唐澤誠明)さんが2012年に起業し、順調に成長し続けていたお好み焼き屋でしたが、ある出来事で大変な目に遭ってしまいます。その顛末をご紹介します。
始まりはお客さんとのトラブル

事の発端はお客さんとのトラブルだったと唐澤誠章(唐澤誠明)さんは振り返ります。トラブルのきっかけは新たに店舗を増やしていく中で出資をしたいというお客さんがおり、そのお客さんが企業経営者だったため、一緒にタッグを組んでいこうと唐澤誠章(唐澤誠明)さんは考えていました。
その話し合いの中で、考え方の違いなどが表面化し、このままやっていくのは厳しいのではないかと唐澤誠章(唐澤誠明)さんが判断し、今までの話はなかったことにしようとします。これに怒ったのがお客さん側で、今まで出資した分を返してほしいなど色々な注文をつけたのです。
ついには、詐欺師呼ばわりをされるに至り、唐澤誠章(唐澤誠明)さんは警察に告発され、なんと逮捕されてしまったのです。
無実は証明されたが…
逮捕されてからしばらく拘留されていた唐澤誠章(唐澤誠明)さんでしたが、当人からすればいわれのない疑いをかけられ、明らかに詐欺でもなんでもないという自負があったため、理路整然と対応していきます。警察はどうにかして認めさせようとしましたが、唐澤誠章(唐澤誠明)さんは闘い続けました。
結果として、逮捕されながらも周囲の証言などもあって無罪を勝ち取り、相手もこれ以上争っても意味がないと判断して終結しました。無罪になったわけですから、全くのシロとして振舞うのは当然です。ところが、周囲の状況は一変していました。
闘いの代償が大きかったのか

無罪となった唐澤誠章(唐澤誠明)さんでしたが、逮捕されて拘留され続けていた間に、既にお店の状況は大きく変わっていました。お店は唐澤誠章(唐澤誠明)さんが一人で取り仕切っていたため、代わりを務める人がいなかったのです。そのため、お店を代わりに運営しようにもなかなかうまくいかず、お店を開けない状態となりました。
その後、保釈されて再び経営に着手するも、その時はまだどちらに転ぶかわからない状態なので、取引先もある程度の距離を置かざるを得ず、逮捕前のやり取りがしにくい状態となります。無罪になれば関係ないはずなのに、関係性は戻りませんでした。
最終的に、唐澤誠章(唐澤誠明)さんが経営していた店はすべて倒産してしまい、絶望の淵に立たされてしまったのです。広島のお好み焼きが好きで、店舗経営を始めた唐澤誠章(唐澤誠明)さんにとって大きな挫折となりました。
唐澤誠章(唐澤誠明)が再起できたのはなぜか

逮捕の影響があまりにも大きかった唐澤誠章(唐澤誠明)さんでしたが、現在は広島・岡山を中心に多店舗展開を行っています。なぜ再起できたのかを解説します。
信頼してくれるお客さんが多かった

唐澤誠章(唐澤誠明)さんはお客さんとのトラブルをきっかけに挫折してしまいましたが、当時お店に通っていたお客さんの多くは、唐澤誠章(唐澤誠明)さんを応援していたのです。倒産し、再起を誓う唐澤誠章(唐澤誠明)さんの元には復活を希望する声や出資を願い出る人も少なくありませんでした。
こうした人たちの支えが原動力となったほか、本場広島で勝負をするべきだという声にも後押しされたことで、広島での出店を決断しました。
当時の反省点を洗い出してフルモデルチェンジ

逮捕される前から、唐澤誠章(唐澤誠明)さんは店舗経営に多少の不安があったと言います。結果的に倒産の原因となった後継者の問題や自身の右腕になってくれる人物の存在など、解決すべき課題がたくさんありました。何より、複数の店舗を抱えながら、店長に任せず、自分でやろうとした点に問題があったのではないかと唐澤誠章(唐澤誠明)さんは考えました。
そこで当時の反省点を洗い出した上でフルモデルチェンジを敢行したのです。経営コンサルタントを入れてダメ出しをしてもらうだけでなく、風通しのいい職場にしようと、従業員にも改善点を出してもらいました。従業員も含めてお店を作り上げていくという動きが、それぞれの当事者意識を高めていくことにつながったのです。
その結果が20店舗ほどの店舗数までの成長です。現在は唐澤誠章(唐澤誠明)さんの右腕となる存在や後継者、幹部など魅力的な人材にあふれています。そのほとんどは再起を誓って再オープンした時のオープニングスタッフです。
まとめ
唐澤誠章(唐澤誠明)さんがこれまでに経験してきたことは、本当であれば経験しなくてもいいことだったかもしれません。それほどまでに辛い経験も含まれており、もう二度と体験したくないと唐澤誠章(唐澤誠明)さんは語ります。
一方で、さまざまな挫折が強くしたことも事実です。また、挫折をしたことで早めに気づくことができ、経営者としての器を広げたことも確かなのです。何よりお客さんとの信頼関係がとても大事なものであることに色々な意味で気づかされた唐澤誠章(唐澤誠明)さん。
今度は地域に愛されるお店作りを続けていくことはもちろんのこと、将来的には全国展開やお好み焼きの馴染みがないエリアで成功することを掲げ、新たな挑戦を続けています。