株式会社ヤプリ代表取締役社長、庵原保文が誰でも簡単にアプリが作れるサービスを実現させるまでに辿った道筋とは

庵原保文の経歴

庵原保文は1979年に生まれました。明治学院大学を卒業したのち、2001年に出版社であるトランスワードジャパンに入社。スノーボード記事の編集者を担当していました。2006年になると、次々にWebメディアが登場し、紙メディアに危機感を覚えた庵原保文はYahoo!Japanに転職。同社ではYahoo!スポーツやYahoo!ファイナンス、公式オリンピックサイトや公式MLBサイト、外国為替サイトなどの様々なメディア事業をプロデュースしました。2010年にCitibankマーケティングマネージャーに就任し、Yahoo!Japanで培ったファイナンスメディアでの経験を活かしながら、オウンドメディア、SNSメディア、ペイドメディアなどを担当。そしてそれから3年後の2013年にファストメディアとして株式会社ヤプリをスタートさせました。2017年に正式に会社名を変更して今に至ります。

庵原保文が株式会社ヤプリを創業したきっかけとは

実はヤプリのスタートは庵原保文がYahoo!Japanに努めていた2010年までさかのぼります。この年、同じくYahoo!Japanに努めていた佐野(現ヤプリCTO)と個人的に、スノーボードのハウツーアプリを立ち上げました。紙メディアの危機を感じ、Webメディアに転向してきた庵原保文にとって、このアプリでの新鮮な体験は、この先の時代はアプリの時代になるという確信をもたらしたのです。同年には金融業界に携わりたいと思い、Citibankに転職しましたが、働きながらも起業へのアイデアを練っていたと言います。そんな中、偶然にも知人から発注されたカタログショッピングアプリの制作時に浮かんだのが「ドラッグ&ドロップだけでアプリが作れるプラットフォーム」でした。アイデアは浮かんだものの、それには高い技術力と資金を要します。工数で資金面をカバーし、なんとか開発にこぎつけましたが、今度課題になったのはサービスのターゲット層。幾度の失敗を乗り越え、現在のヤプリの姿があるのです。

庵原保文率いる株式会社ヤプリがもたらすテクノロジーの力

現在ヤプリのサービスは個人企業から有名企業まで、多くの人に利用されています。庵原保文はこの先も、アプリのテクノロジーをより多くの人に活用してもらえるようなシステムを開発し続け、世の中のスマホ革命の一躍を担えるサービスでありたいと願っています。