~株式会社トリドールホールディングス 社長 粟田貴也 うどんで一躍有名になった飲食業経営者~

粟田貴也
経歴:1961年 兵庫県神戸市生まれ。3歳の時に加古川市に転居。父は兵庫県警察の警察官だったがくも膜下出血で死去。兄も警察官になった。加古川東高等学校を経て、1981年神戸市外国語大学に入学。アルバイトで生計を立てながら大学に通うが、1982年大学を中退し、運送会社のトラック運転手として開業資金を貯め、1985年にトリドール三番館を創業。1990年有限会社トリドールコーポレーション代表取締役社長。1995年株式会社トリドール(現株式会社トリドールホールディングス)へ組織変更し、同社代表取締役社長に就任。2000年丸亀製麺開業。M&Aなどを進め事業を拡大させる。現在では讃岐釜揚げうどん「丸亀製麺」を看板ブランドに、焼きそば専門店「長田本庄軒」、極細醤油ラーメン専門店「丸醤屋」、自家製ゆでたて生麺ミートスパゲッティレストラン「神戸元町グリル三番館」、麺専門店「麺屋通り」、ファミリー層を顧客としてターゲットにしている釜飯と焼き鳥の「とりどーる」、揚げたてから揚げ専門店 「とりサブロー」など複数の業態を運営している。2006年に東証マザーズに上場、2008年には東証一部へ指定変更を行う。海外展開も積極的でアジアを中心にアメリカにも店舗を展開している。2019年に本店を東京都渋谷区の渋谷ソラスタへ移転。飲食業の会社と思わせないオフィスを構えている。

創業経緯

早くに父親を亡くした粟田氏は金銭的な面で非常に苦労をする。大学も夜間学校であり、昼間はバイトをしながらの生活であった。粟田氏はアルバイトでお金を稼ぐことを「我慢の代償として対価を得ること」ととらえており、勤務中は常にストレスにさらされていた。だが、粟田氏が労働に対する価値観を変えるきっかけが起こる。それが喫茶店でのバイトだ。彼はこの時、飲食店の勤務の楽しさを身をもって実感し、飲食業を志すことになる。それを決意した粟田氏の行動は早かった。大学を中退して開業資金を貯めるために配送会社へ入社。数百万円の金を貯めた後、1985年8月にやきとり居酒屋である「トリドール三番館」を開業。その10年後には株式会社化を行い、株式会社トリドールとして改めて再始動する。丸亀製麺改行のきっかけとなったのは鳥インフルエンザが流行していた時期にやきとり料理の提供が難しかったこと。
その業態変更が上手く作用したようだ。

エピローグ

飲食業が楽しいということで東証一部上場までの規模になる企業を創業した粟田氏。これを読んでいるあなたは仕事を楽しめているだろうか。もし楽しめていないのであればぜひとも自分が本当に楽しいと思える仕事を探してみてはいかがだろうか。