~SBIホールディングス株式会社代表取締役 北尾吉孝 世界が注目する北尾吉孝はどうやって社長になったのか~

北尾吉孝
経歴:1951年兵庫県出身。曾祖父は大阪朝日新聞の専属販売店を経営。祖父は東洋綿花(現 豊田通商)社長を務めた。そして父の北尾精造氏は洋書の輸入販売会社を経営しており、経営者になることが当たり前という環境で育つ。1974年に一族が多く卒業していた慶応義塾大学を同じく卒業。野村證券に入社する。社内留学制度でケンブリッジ大学経済学部へ留学。卒業後は野村證券の海外投資顧問室、ニューヨーク支店へ異動して海外勤務も経験。1989年にワッサースタイン・ペレラ・インターナショナル社常務取締役に就任。1991年には野村企業情報株式会社取締役就任。1999年、ソフトバンク・インベストメント(現SBIホールディングス)代表取締役社長に就任。

創業経緯

北尾氏が野村証券で勤務していた1995年の時、現在では大企業となったとある会社が上場準備をしていた。その企業こそが孫正義率いるソフトバンクである。ソフトバンク上場時、野村証券が主幹事証券会社になっていた関係で、北尾氏は孫氏と出会う。その後、北尾氏は孫氏からスカウトを受け続け、ソフトバンク上場より4年後の1999年に根負け。ソフトバンク・インベストメントの取締役社長となる。
もともとソフトバンクと資本関係があったが、2006年にソフトバンク・エーエムが保有していたSBIの株式をすべてゴールドマン・サックスに売却したことで、実質的な資本関係は消失した。この事実に、世間では一時期、ソフトバンクの孫社長とSBIの北尾社長の不仲説が噂されたが、当の本人たちはあっけらかんとしている。おそらく我々では想定できないような将来構想があっていたのだろう。 現在、SBIはネットバンクを始め、証券や仮想通貨の取引所も運営している。ネット証券会社で言えば、様々なメディアでSBI証券が推されている。また、北尾氏は仮想通貨ブームで有名になった暗号資産であるXRP(リップル)の可能性を非常に信じており、リップル社が構想するブリッジ送金に大きな可能性を感じて賛同している人物の一人である。

エピローグ

上場企業の主幹事証券企業になることで、思わぬ形で経営者の道を開いた北尾氏。もし就職活動をしている学生は証券会社を受けてみてはいかがだろうか。なお、証券会社の株式公開引受部署などに勤務していれば事業会社のCFOなどのキャリアが開ける。もちろん証券会社の社員構成比はほとんどが営業員のため、そのポストに就くには非常に優秀である必要があるが、このようなキャリアを描きたい人は是非とも挑戦してみてほしい。