株式会社クララオンライン代表取締役社長、家本賢太郎の起業のきっかけとなった、わずか15歳での車椅子生活

家本賢太郎の生い立ち

家本賢太郎は1981年に愛知県名古屋市で生まれました。小学6年のころに原因不明の高熱に侵され、二年後の中学2年時に脳腫瘍と判明。除去手術を受けましたが、後遺症で車椅子生活を余儀なくされました。そんな中で家本賢太郎が入院中に出会ったのがインターネット。インターネットに夢中になっていく中でプログラミングに目覚め、1997年に文部省大学入学資格検定に合格しながら合資会社として、インターネットサービスのプラットフォームであるクララオンラインを起業しました。1998年には有限会社クララオンラインを設立し、翌年の1999年には株式会社に組織変更。家本賢太郎自身も慶應義塾大学法学部通信教育課程に入学しました。さらにこの年には、これまで車椅子での生活をしてきた家本賢太郎に奇跡が訪れ、両脚の運動神経が回復したため普通に生活することが可能になりました。その後2001年に同大学の環境情報学部に入学しましたが、体育の単位不足により中退。同年、早稲田大学大学院スポーツ科学研究科に入学し、2007年に修了しています。

家本賢太郎の車椅子生活の中で生まれたクララオンライン

中学2年生の時点で車椅子生活となった家本賢太郎。15歳という若さで会社を設立した背景には、脳腫瘍がきっかけで出会ったインターネットによって、「生きる実感を得たい」というものがありました。インターネットを通じて社会とのコミュニケーションを取りたいと思ったのです。もちろん会社が最初から軌道に乗るケースは稀で、クララオンラインにとっても最初の4年間はかなり苦しい時期を過ごしたと言います。特に資金面では15歳という若さがハンデとなり、一時期会社員全員に退職してもらわざるを得ない状況にも陥りました。

家本賢太郎率いるクララオンラインが提供するサービスとは

現在クララオンラインは東京・名古屋など日本だけでなく、北京・シンガポール・台北・ソウル・香港なども拠点に含めながらクラウドサービス、クラウド運用、インターネット・モバイル関連のコンサルティングサービスを提供。インターネット社会の発展への貢献と多様性の尊重を企業理念に、アジアを土台としたサービス提供をしています。さらに、2010年からは株式会社電通との共同出資により、スポーツITソリューションを設立。スポーツ業界でのインターネット活用を促進しています。