株式会社ミクシィ元代表取締役社長 笠原健治、mixiを生み出した理由とは

笠原健治の生い立ち

笠原健治は1975年に大阪府箕面(みのお)市に生まれました。父は京都工芸繊維大学の名誉教授、母は京都市立芸術大学で講師を務めるピアニストという家庭で育ち、高校卒業後の1994年には東京大学分科二類に入学。在学中にはアルバイト先の店長が求人を掲載しているのに全く人が集まらないという声を参考に、求人情報サイト「Find Job!」を開設しました。さらに2年後の1999年には有限会社イー・マーキュリーを設立(翌年に株式会社に組織変更)し、同年にインターネットオークションサイトを企業と共同開設。それから笠原健治は2001年に東京大学経済学部経営学科を卒業しました。2004年、笠原健治は当時アメリカで流行していたSNS(ソーシャルネットワークサービス)のフレンドスターに着想を得てmixiを開設します。当時目新しいサービスだったmixiは順調にファンを獲得し、2006年にはイー・マーキュリーをミクシィに変更。その後2013年に代表取締役会長を退任しています。

笠原健治はmixi開発で何に着目したのか

mixiのもととなったSNSのフレンドスターは「SNSの元祖」とも言われている大ヒットサービスで、友人の輪によって繋がりを広げていくというSNSの基本構造を採用しています。笠原健治が着目したのはこの「友人の輪」というもの。SNSには不特定多数と繋がりを持てるという利点もありますが、あえて友人や家族との繋がりに着目したのです。そして当時はインターネット検索が普及し始めたころで「何」が重要視されていた時代。そんな中で笠原健治は情報の発信者を重要視する「誰」に注目し、コンテンツの発信者によって物事の価値を広げるというサービスを展開しました。mixiと数多くのSNSサービスとの違いはこの家族や友人など、実際の関係がある人間との繋がりをメインとしたサービスであるということ。この知人間の繋がりにSNSを活用することで、日常のあらゆるものが共有可能になりました。

株式会社ミクシィのこれからの経営方針と笠原健治の現在

笠原健治は2013年に会長を退任し、それからはスマホ向けアプリ「家族アルバムみてね」というサービスを手掛けています。これも笠原健治が着目した家族との繋がりに関するサービスで、子供の写真を家族間で自由に共有できるというもの。また、株式会社ミクシィではSNS依存の体制を脱出し、ゲームアプリ「モンスターストライク」で大反響を呼びました。今後はモンスターストライクに代わる新たな新規事業の開発を目指しています。