起業=マラソン⁉株式会社17 MediaJapan代表取締役社長、小野裕史の挑戦プロセス

小野裕史の生い立ち

小野裕史は1974年に北海道札幌に生まれました。1993年に北海道札幌南高等学校を卒業したのち、宇宙物理を学ぶために東京大学理学部に進学しました。しかし、手元にない宇宙よりも手元で実験ができる生物に魅力を感じ、生物学科に転向。その後、東京大学大学院研究科で生物学を学びました。しかし、小野裕史はまたしても転向を遂げます。1999年にNTTドコモから発表されたiモードに感銘を受けた小野裕史は、大学に通う傍らでプログラミングを勉強。自らもモバイルサイトを立ち上げたのでした。こうして研究者から技術者となった小野裕史は2000年大学院卒業と同時に日本アイ・ビー・エムシステムエンジニアリングに入社。5か月後には退社し、株式会社シーエー・モバイルに第1号社員として入社しました。そこで小野裕史は個人の携帯サイトで収益を稼ぐことのできるモバイル広告事業の立ち上げを達成。同社を退社したのち、2008年にはベンチャー企業に出資を行うインフィニティ・ベンチャーズLLPを設立。そこで、17 MediaJapanの親会社である台湾のベンチャー企業の日本進出を手伝ってほしいという要望を受け、2017年に17 MediaJapanの代表取締役社長として日本進出を統率しました。

小野裕史のずば抜けた達成力とは

実は小野裕史は投資家、起業家としての顔だけではなくマラソンランナーとしての顔も持ち合わせています。35年間運動と無縁だった小野裕史をマラソンに引き込んだのは2009年、任天堂のWii Fitをプレイしたことがきっかけでした。そこからの成長は目覚ましく、わずか2年後の2011年には中国ゴビ砂漠での250㎞マラソン完走を果たしました。小野裕史は、無理かもしれないと思うような大きな目標を立て、それを達成するための中期目標を確立。さらにその中期目標を達成するために毎日やることを積み重ねていく、目標達成のためのプロセスは起業とマラソンで同じであると言います。

小野裕史率いる17Meddia Japanが目指す未来

小野裕史は常に新しいことの発見と成長を忘れません。17Liveはライブ配信では後発であると言えますが、個人が個人を応援するという文化(例:AKB48の総選挙など)がすでに根付いていた日本の文化に上手く合わせ、わずか1年で大きな発展を遂げました。今後17Liveのようなライブ配信がテレビに代わる最先端メディアとなり、それによって多くの個人が世界で活躍できるような世界を創造したいと考えています。